イタリア地震被災者に、一日も早く変らぬ日常が戻りますように・・・

6日にイタリア中部を襲った地震から2週間が経った。

古い石積みの建物が、文字通り瓦礫の山のように崩れた写真を見て、
今さらながらイタリアは石の国なんだと思った。


亡くなった300名にも及ぶ方たちに、心から哀悼の祈りを捧げたい。
地震国に住む身には、地震のニュースはどの国から届いても、
他人事に思えない。

家を失った数万の人々の暮らしは、このあとどうなるのだろう。
直後に、周辺の都市のホテルが、空室を提供するという記事を見つけた。
836軒、13,340床のベッド数である。

イタリアの防災庁のホームページに
あったのだが、
日本では(あまりテレビのニュースを見ないのでなんとも言えないが)報道されなかったようだ。
その後この措置がどうなったのかは、よくわか
らない。
まだホテルを仮の住まいにしている人たちがいるのだろうかか、
それともホテルは緊急の一時的な避難先で、みな仮設テントに移ったのだろうか。

代わりに見つけたのは、ベルルスコーニ首相が、
いくつかある邸宅や別荘を被災者に提供すると申し出た、というもの。
ベッド数がどれほどあるのか、何人が入居できるのか、詳しいデータはなかった。

首相は独テレビ局の取材に、テント生活を送る被災者は「週末のキャンプだと思えばいい」と発言し、顰蹙を買ったというから、失言の火消しぐらいにしか見られていないのかもしれない。
だが、このニュースで目を引いたのは、
「すでに多くの人が、被災者に自分の家の提供を申し出ている。
わたしも自宅のいくつかを提供したい」という首相のコメントだ。

イタリアには家族の数の倍の家があると、昔どこかで読んだ。
別荘でバカンスを過ごすのがあたりまえの国では、
セカンドハウスは日本の感覚と違うのかもしれないと、そのとき思った。

被災者に提供されるという家が、別荘なのかどうか定かではないが、
ホテルが空室を開放したというのも、この話も、どちらも日本では聞かない類の話だ。

ランティアにもお国事情が現れるのは当然のことだが、
そこには、困っているひとたちに持てるものを差し出そうという、
キリスト教の精神を感じないでもな
い。

仕事でトスカーナのアグリツーリズモのスタッフとメールのやりとりをしていて、
この地震の話になった。
彼女は、「復活祭がもうすぐなのに、なんて悲しい
こと…」と嘆いた。
イタリアでは、復活祭は日本のお正月のような、いやもっと大事な祝日なのかもしれない。
復活祭を祝えないことは、家を失ったことや家族
を亡くしたことには比べられないけれど、それでも、とても悲しく寂しいものなのだろう。

だからそのあとで、「ささやかな祈り 被災地テント村の復活祭」というニュースで、
仮設テントに作られた祭壇や、ミサの様子や、
復活祭につきものの大き
な卵のチョコレートを割る女性や、
ダンボールのキャンバスにカラフルな色で「Buona Pasqua」(復活祭おめでとう)
と書かれた写真を見て、彼ら
が復活祭を祝えたことに少しほっとした。

ボランティアによって届けられたチョコレートの卵や、作られた祭壇や、
やってきた司祭たちのあげるミサで、被災したひとたちの気持ちが、
ほんのりと明るくなってほしかった。

このような大きな災害にあった人たちが苦しむのは、
家や物という物質的な喪失のためだけではないことを、私たちは日本の経験として知っている。
失ったの
は日々の暮らしと、それを分かち合ってきた人、
そして一緒に作り上げた時間の積み重ねだ。
物資や金銭の援助だけではどうにもならないものが、失われてし
まったのだ。

17日のAFPニュースサイトには、テントで髪を切ってもらう女性の写真があった。
それから、瓦礫の上に横たえられたキリスト像や、
崩れた教会から一枚の大きな絵が、大切そうに運び出される写真も。

まず人命、そして食べ物と寝るところ、次は気持ちや魂が大事にしている部分… 
イタリアの復興の道筋が、ニュースの記事と写真に見て取れるように、順番
に、
順調に進みますように。

地震の数日後、炊き出しのパスタの鍋に並ぶ行列の写真を見た。
彼らが我が家で、アルデンテのパスタが食べられる日が、
一日も早
く来ますように。
あるいはおしゃれに髪を整え、素敵なレストランに出かける日、
バカンスを過ごすためにホテルに泊まる日、
そして元の場所に戻ったキリスト
像や古い絵を、
安らかな気持ちで見上げる日が。

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