65歳イタリア遊学記 第1回 ローマのホームステイ
65歳の夏、ホームステイをしながらローマの語学学校に留学した。イタリア語は定年退職後の62歳の年にNHKのラジオ講座を聞くことから始め、同時に東京都内の語学教室にも通い始めた。イタリアに特別な関心があったというわけではない。趣味の一つとして英語以外にもう1か国語を勉強してみようというのが主な動機だった。
それなりに熱心に勉強を続け、文法事項は一通り学習したが、いざ「話す」となると、なかなか言葉が出てこないし、聞き取りも満足にできない。そんなとき、思ってもいなかった「語学留学」の4文字が頭に浮かんだのである。
「留学」なんて若いときにするものだという固定観念があったが、旅行雑誌などで定年後に留学した人の体験話などを読んでいるうちに、今ならまだ自分にもできるのではないかという気がしてきた。
通っていた語学教室に相談してみると、留学先や滞在先を手配してくれるという。それなら思い切ってやってみようという気になった。
留学先をローマにしたのも特別な理由はない。たまたま、ローマの学校の校長先生がプロモーションのために来日し、通っていた教室で説明会を開いたので、彼の話を聞いて即決したのである。
ちょっと調べてみると、イタリアにも語学学校は山ほどあり、そこで学んだ人たちの体験談も出ているが、結局のところ、どの学校がベストかなどは判定のしようがない。まあ、設備の整った学校らしいし、ローマなら退屈することはないだろうくらいの気持ちで決断した。
それよりも、滞在先についてはかなり迷った。留学はホームステイをしながら、というのが定番かとは思ったが、65歳の自分が溶け込めるような家庭が見つかるだろうかという不安があった。しかし、アパートだと何かあったとき心配だ。レジデンスホテルというのがあって、これがいいかもしれない、と思って教室に聞いてみたが、かなり費用がかかりそうだ。
結局、ローマの語学学校を通してホームステイ先を探してもらうことになったが、事前にいくつかの「条件」を出しておいた。それは、
①あまり若い夫婦の家庭でなく、50代くらいの夫婦の家庭を希望する。
②専用の風呂とトイレがあること。
③台所を使えること。
④テレビがあること、などである。
しばらくして先方から届いた滞在先は、75歳の1人暮らしの老人宅だという。いささかとまどった。「サッカーとダンスが好きな、面倒見のいい人」という触れ込みだが、やはり「1人暮らしの75歳」というのが気になる。万が一、滞在中にこの老人の身の上に何かが起こったらどうすればいいのか?しかし、自分の出した条件に合いそうな家庭はローマ市内にはここしか見つからなかったという。まあ、②③④についてはOKだというので、この家庭に決めることにした。
ステイ先のアパルタメント
不安は早々に的中してしまった。入居当日、家主は挨拶もそこそこに、事務的な説明を終えるとすぐ自室に引っ込んでしまった。英語はまったく通じないようだ。
翌日からは、さっそくお小言が始まった。もちろん、こちらの不注意や落ち度もあるのだが、この老人は下宿人の行動にいつも目を光らせているらしく、些細なことにいちいちクレームをつけてくるのである。たとえばこうである。
・ドアをバタンと閉めるな!(窓を開けていれば、少しはバタンと音がするのだが…)
・食堂の椅子を引きずるな!(大理石の床なので、どうしたって多少は音がする)
・料理をするのはいいが、台所を汚さないように!(ハイ、ハイ、わかりました)
・流しの蛇口は水が飛び散らないように、真ん中で使え!(わかってますよ)
・洗面所のライトはすぐ消すように!(ちょっとの間点けていただけじゃないか!)
・バスタオルを室内に干すな!(ほかに干す場所がないんですけど…)
と、こんな感じで、いちいち挙げていたらきりがない。
とにかくケチのかたまりのようなじいさんで、ちょっと塩を借りようとしても、そういうものはこれからも要るのだから、なるべく自分で買うように、とくる。朝、ノックもしないでいきなり部屋に入ってきて、もう明るいからと言って、いきなり部屋の電気を消されたのにはあきれてしまった。無用の出費を極端に嫌うのである。
風呂とテレビについても当てが外れた。専用の浴槽があるというので安心していたが、これはあとから入居するアメリカ人親子が使うことになっていると言って、使わせてくれない。テレビも最初はなかったが、「あるという約束だった」と抗議すると、数日後やっと映りの悪いテレビが運ばれてきた。しかも、「1日2時間以上は見るな」という注文付きである。
問題は家主だけではなかった。この下宿は地下鉄の駅のすぐ近くで、便利なのはいいのだが、部屋が大通りに面していたのである。エアコンも扇風機もないので、窓を開けて寝るしかなかったが、夜の12時を過ぎても車の騒音が途切れないのには参った。
もう一つ悩まされたのは「鍵」である。この家の鍵は、高さの異なる突起がいくつも付いた昔風のもので、1回転させるごとにロックが1個ずつ引っ込み、4回転でドアが開く仕組みなのだが、不器用な自分はいつまでたってもこの鍵に慣れることができず、何度もチャイムを鳴らして家主を呼び出し「またか!」という顔であきれられたり、家主が不在のときは、隣人が帰って来るのを待って助けてもらったりという恥ずかしい行動を繰り返した。
実は、4回転させるだけではドアは開かず、最後に微妙な半クリックが必要だったのである。この半クリックのコツがいつまでたっても飲み込めず、家主にこの日本人はバカじゃないのかと思われたようだ。今思い出しても冷や汗の出るような苦い経験である。
こんなことばかり書いていると、地獄のようなホームステイ生活だったと思われるかもしれないが、楽しいことがなかったわけではない。
あとから入って来たドイツの若者たちとの交流である。特に、ヘレナさんとラリッサさんという若くてチャーミングな女子学生との食堂での楽しい語らいは忘れられない。ドイツの人たちはみんな英語が達者なので助かる。
あるとき、小生の趣味の一つである俳句の話をしたら、大いに興味を示してくれて、「俳句」とはいかなるものかを説明する羽目になったが、知的な彼女たちはなかなか的確な質問をしてくれてうれしかった。
お別れの前夜のこと、小生にプレゼントがあるというので、空けてみると、何とどこで買ったのか、イタリア語訳の日本の俳句の本である。表紙裏には、二人で考えたらしく、英語による「俳句もどき」まで書かれていて、感激してしまった。
彼女らが出て行ったあとには、やはりドイツ人の若い男性が二人入居し、彼らとも食事を共にしたり、ワインを傾けながら家主の悪口を言ったりした。
幸か不幸か、8月のバカンス時期で、家主は下宿人を残したまま田舎の実家へ里帰りして、何日も帰って来ないのである。おかげで、その間は苦情を言われることもなく、のびのびと生活することができた。かなり当て外れはあったが、思わぬ「収穫」もあったホームステイだった。
2008年5月
大井 光隆
大井さん、
留学記の連載開始、ありがとうございます!
ケチケチじいさんのにくたらしさと、女子学生の優しさ… どちらも様子が目に浮かびます。
実は私も同じような経験をしているんです。
私の場合はケチケチばあさんで、鍵は写真のものにそっくり、
しかもフィレンツェ郊外のアパルタメントは門と建物の入り口にひとつづつ、
部屋のドアには二つ鍵がついていて合計4つ…
やはり苦労しました。
でも程度の差はあれ、留学した人は皆同じような体験をしているんじゃないでしょうか。
特に(日本人の習慣化した)電気のつけっぱなしと水道の水の出しっぱなしは、
イタリアの人には耐えられないようです。
と言ってもそれも言い方ひとつですよね。ステイ先のあたりはずれは大きいです。
ただ、日常の暮らしの感覚もすごく違うなと、私は感じました。
たとえば明るさの感覚。
私たちは夜はしっかり電気(しかも蛍光灯)をつけて明るくしていますよね。
暗いのは目が悪くなるようでいやだし。
でもイタリアの人は(目もいいのか?)白熱灯が好きで、少し暗くても平気。
テレビを見るときは電気を消している人も多かったです。
お風呂も、彼らにとっては湯船につかるものではなく、あくまで体を洗うためのもので、
日本人のバスタブ好き(好みと言うよりこれも習慣か)が理解できないようです。
それと給湯器の問題。
バスタブにたっぷりお湯をためるなんてことを想定していないためか、
特に古いタイプの小さな電気給湯器では途中で水になってしまったり。
いや、けっしてケチケチじいさんを擁護しているわけではないんですが、色々思い出されてつい。
さてこのあとはどんな留学生活になるのか…、
続きが楽しみです。